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■繰り返し作られる「椿姫」
1978年には、ノイバウアーがショパンの曲を使ってバレエに振りつけており、現代のNo,1ソリスト、シルヴィ・ギエムがプリマをやったやつがDVDで出ています。これが有名で、バレエ「椿姫」といったらギエム版のことです。
日本では、明治時代に日本を舞台にして書き換えた形で小説の「椿姫」が翻訳されました。また、佐久間良子、三輪明宏らの主演で何度も舞台化されています。(山田洋次監督の「椿姫」は、オペラが好きなタクシー運転手と芸者さんの話で、ベルディの椿姫ではありません。)
□右上は、2階席で観劇をするマリー・デュプレシーと思われる人物の絵。
マリーはマルグリットのモデルとされる。
翻案ものも多く、2009年には翻案ミュージカルでロンドンでヒットした「マルグリット」が日本でも舞台化される予定とか。何でもナチス・ドイツの話だそうで、たしかに大胆な翻案ですね。
ニコール・キッドマン主演のミュージカル映画「ムーラン・ルージュ」(2006年)はほぼ同じ展開だけど、大変明るく作られており、翻案としては傑作、おすすめです。
おまけ:...あまり考えたくないのですが、実は椿姫の翻案...海外では成人向け映画までありマス。タイトルは...探してみてください。
■「椿姫」に似ている話
翻案ではなくても「ああ、これ椿姫だ」と感じる、いわゆる”強く影響を受けた”作品は大変多いです。
たとえば伊藤左千夫の「野菊の墓」。主人公が過去を語る形式。主人公と相思相愛のヒロインは、外部の力で別れさせられ別の男性のものになり、主人公は遠くへ去ります。しかしヒロインは主人公だけを愛し続け、主人公には最後までそれを伝えずに結核で亡くなります。ヒロインの死後に主人公はそれを知る...何でだれもパクリだって言わないんだあぁ。.......いや、年代をおいたパクリは文学では普通のことでしたね。**の影響を受けた作品、という...。主人公男性が過去を回顧する話というのは、調べてみたくなってきました。
昔の長編の少女まんが「風と木の詩」(竹宮恵子)っていうのがあるのですが、その主人公の父母の話のところに、パトロンつきの少女のような上品な娼婦パイヴァが登場し、とても印象的で、よく覚えてます。今にして思えばパイヴァはマルグリット...だったのかもしれません。
そう、そんなふうに、この物語を気に入っただれもが、作りたくなるんです「椿姫」を。
少女のような娼婦、変わらぬ恋心を胸に、アルマンの復讐に耐えようとするマルグリットを。たった1人で死んでいくマルグリットを。
こんな物語は他にはないのです。
■昔の中高生の読書
「椿姫」を初めて読んだのは三十年ほど昔、中学か、高校1年の時だ。
インターネット、携帯どころかパソコンもなかった時代で、子供のできること知りえることは限られていた。
読書にしても、近所の書店の店頭にあるもののみが選択肢、限定されたラインナップであった。私の場合、まずいことに、その限定ラインナップのほとんどを占める「日本の作家の作品」がどうにも苦手であった。中学生に志賀直哉や森鴎外はキツイ。コバルトなどもなかったし。
しかたなく海外の文豪の名作ばかりを、生意気にも読んでいたのだが、中でも「椿姫」は忘れえぬ作品である。
□上のイラストは、ミュシャによる版画「椿姫」。髪に飾った白椿がマルグリットの象徴である。
■少女のような娼婦
19世紀フランス・パリの高級娼婦というと、どのようなイメージだろうか。
「椿姫」のヒロイン、マルグリット・ゴーティエは、何となくわいてくるキンキラな想像とは似ても似つかない娼婦である。黒い髪、黒い瞳、少女のような顔だち、細い華奢な体、上品な物腰と会話、白い椿の花を愛する。彼女は恋人の将来のために、彼を愛しながら身を引くという高貴な精神ももっている。
が、しかし、彼女は複数の富豪のパトロンをもち、贅沢三昧の生活をする高級娼婦なのである。
□マルグリットのモデルとされる娼婦マリー・デュプレシーの肖像→
私はこの肖像画をつい最近知ったが、まさにマルグリットだ。
「椿姫」(La Dame aux camelias、椿を持つ女)は、そんなマルグリットと、彼女にに恋した普通の青年アルマン・デュヴァルの物語である。マルグリットは、豪勢な生活に疲れ、偶然に出会った何のとりえもない1人の青年と真の恋に落ちる。ついにマルグリットは富豪のもとを去り、アルマンとの地味で幸福な暮らしを始めるが、次第にお金に困り、生活は不安定になっていく。そんな中、アルマンの父から息子と家族のためにと離別を依頼されるが、マルグリットは苦しみながらもそれに応じ、再び高級娼婦に戻るのである。父の仕業を知らないアルマンは、絶望し、マルグリットに復讐のようにつらくあたり、ある運命の一夜の後パリを去る。マルグリットは結核をわずらい、財産もなくなり、アルマンへの思いを日記に託しながら1人で死んでいく。アルマンが彼女の思いを知ったのはその死後であった。
デュマ・フィスの原作は、アルマンがマルグリットの遺品を手にいれた第3者に語る形で物語が描かれている。
■デュマ・フィスとマリー
作者のアレクサンドル・デュマ・フィス(1824-95)は、「三銃士」などで知られる劇作家アレクサンドル・デュマの非公式な出生の息子で、区別するために小デュマとも呼ばれる。代表作「椿姫」は、作者自身の体験談がもとになっているのは有名な話である。
右上の肖像画の主、マルグリットのモデルとなったのは、当時のパリ裏社交界の花マリー・デュプレシーで、デュマと同じ年齢の20の時にしばらく交際をし、似たような状況で破局を迎え、その後23才の若さで孤独に病死している。上の肖像画はそのマリー・デュレシーのものだが、「椿姫」の挿絵に使っても不自然ではないくらい、マルグリットと似ている。ただ、実際のマリー・デュプレシーはデュマ以外にも恋人が複数いて、死の床で手紙を書いた相手には作曲家のフランツ・リストも含まれていた。
デュマ・フィスはこの作品の成功のあと、次々と戯曲を出し高い評価を得るが、いずれも裏社会の人々に光をあてたもので、父の作風とはかなり異なる。
■椿姫とマノン・レスコー
「椿姫」の小説中に劇や本として登場する「マノン・レスコー」(1731年、アヴェ・プレヴォー)は、物語の鍵だ。高級娼婦マノンと騎士デ・クリュの恋物語で、悲劇で終わる。贅沢が好きで奔放なマノンと、彼女のために身をもち崩すデ・クリュを主人公らに重ね合わせているのだが、アルマンはデ・クリュのような寛容な大人ではないし、マルグリットは、マノンとは正反対の女性である。「マノン・レスコー」と「椿姫」は、そっくりでいて対照的な物語であり、デュマ・フィスの意図はおそらくは違いを際立たせることだ。1枚づつ散るのではなく満開のまま、落花する椿。マルグリットはマノンではない。
■オペラ「ラ・トラヴィアータ」
この鮮烈な娼婦の純愛の物語は、誕生して150年の間に、映画に、舞台に、バレエにと、何度も焼きなおされている。小説発表の2年後の1849年にデュマ・フィス自身が書いた戯曲は大ヒットし、その4年後の1953年、ヴェルディが曲をつけたオペラ「La Traviata」が上演された。
ヴェルディの「椿姫」は、現在でも人気オペラ・ベスト5に確実に入る名作となった。オペラでのタイトルは「道をふみ外した女」で、「椿姫」ではない。また、人物もアルマンはアルフレードへ、マルグリットはヴィオレッタへと変わっている。ストーリーで原作と違うのは、若干純愛度が上がっており、物語の最後でヴィオレッタはアルフレードの腕の中で死んでいくという、救いのあるエンディングに変更されている点だ。デュマ・フィスはこれでは「椿姫」ではないと思ったのだろうか。
「椿姫」の翻案作品は21世紀の現在まで数多く、途切れることなく作ら続けている。
(「椿姫」-2へ続く)